俺には歳が六つ離れた妹がいた。
俺は小学校の頃からずっと体育5とかで元気だけが取り柄みたいな子供だったんだが、妹はちょっと体が弱くて少し体調を崩すと何日も熱で寝込んじゃうくらいだった。
そんな事もあってかお互いケンカもほとんどなく本当に仲良く楽しく暮らしていた。
結構妹に甘くて、いつも何か頼み事されたら断り切れないでそれを聞いてしまう。
例えば、苺のショートケーキがおやつに出たら、出た瞬間にはもう妹が顔で合図してくる。
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私の父が男手一つで私を育ててくれました。
母の居ない私に父は、寂しい思いをさせまいと必死だったと思います。
いろいろと体の違いや考え方の違いもありますし、
男の父が女の私を1人で育てるのにはかなり苦労したようです。
当時、私の父は貿易会社に勤めており出張を繰り返す日々でした。
その為、家に帰ってくるのはいつも遅く、私が寝てから帰宅というのがほとんどでした。
でも、私の誕生日には、毎年大きなケーキと大きなぬいぐるみを持って早く帰ってきてくれました。
二人だけの誕生日会。それはとても質素な誕生日会でしたが私には本当に暖かく、
かけがえのないものでした。
なので毎年その日が待ち遠しく、私は誕生日までの日にちを数えたりしていました。
今から約10年前の話。
1998年、俺は高校2年と3年の間の春休みに、ある大学病院に入院した。
特に重い病気でもなくただの難治性潰瘍治療のための入院だったから食事制限や運動制限もあるわけじゃなくてかなり自由な入院生活を送れることもあって半分楽しんでたのも正直なところ。
ただ、俺の通ってた高校が学区トップの進学校だったから宿題の量が半端無かったから病院でやらなくちゃいけなかった。
夜の方が勉強はかどるんだけども9時消灯だから病室ではできない。だから俺は地下の自販機コーナーですることにした。
昼間は売店と食堂も隣接してることもあって活気(?)のあるそこでも、夜になると電気も落ちて自販機の明かりだけになる。その雰囲気も気に入った。勉強には少々暗いけどそこがいいと思った。
そこが始まりだった。
ある日、元カノにバッタリ会った。
時間があったので、お互いの身の上を話していると
彼女が未亡人になっていたことが判明。
平凡だったオレの身に突然起こった嵐の出来事をつらつらと書くんで
ヒマだったら付き合ってw
彼女に再会したのは秋風吹く土曜の午後、某ショッピングモール内にある施設でのこと。
小学生の末っ子を習い事に連れて行った時のことである。
受付で名前を記入した末っ子を見送りながら、受付の女性になんとなく見覚えがあるような気がした。
同時に、相手もそんな感じでオレを見ていた
・・・そして・・・物語はこの一言から始まったのである。
まだ1年ほど前の事なのですが・・・。
彼女がこの世を去りました。病死です。
その彼女と出会ったのは7年程前でした。
相手はその頃大学1年生でした。
持病があり、あと5年生きられるかどうか?と寂しく笑っていました。
それを承知で私たちはつきあい始めました。
つきあい始めたのは良いのですが、私の仕事の関係で遠距離(関西-東
北)になってしまいました。それでも、彼女は笑いながら逢えるついで
に旅行も出来ると言い、月に1度のペースで会いに来てくれました。
相手は実家に住んでいて、私は貧乏サラリーマン。それを察して、相手
が私の所に会いに来てくれていたのです。